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東京地方裁判所 平成3年(ワ)13745号 判決 1992年7月29日

主文

(第一事件について)

一  被告丙川太郎は、原告らに対し、別紙物件目録記載の建物の賃料が昭和六三年三月一日から平成二年三月一四日まで一か月金一四万四六〇〇円であることを確認する。

二  被告丙川太郎は、原告らに対し、昭和六三年三月一日から平成二年三月一四日まで一か月金一万九六〇〇円の割合による金員及び右各月分についてこれに対する各月の一日から支払い済みまで年一割の割合による金員を支払え。

三  原告らの被告丙川太郎に対するその余の請求及び被告丁原松夫に対する請求は、これを棄却する。

(第二事件について)

四 原告らの請求をいずれも棄却する。

(第一・第二事件について)

五 訴訟費用は第一、第二事件を通じて、これを三分し、その一を第一事件原告・第二事件被告らの負担とし、その余を第一事件被告・第二事件原告丁原松夫、第一事件被告丙川太郎及び第二事件原告丁原夏子の負担とする。

理由

第一  請求

一  第一事件

1  被告らは原告らに対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。

2  被告丙川太郎は原告らに対し、別紙物件目録記載の建物の賃料は昭和六三年三月一日以降平成二年三月一四日まで一か月金一七万五〇〇〇円であることを確認する。

3  被告丙川太郎は、原告らに対し、金一三五万一九〇九円及び内金一二二万二五六〇円に対する平成二年三月一五日から支払い済みまで年一割の割合による金員を支払え。

4  被告らは原告らに対し、連帯して平成三年一月一八日から同年三月三一日まで一か月金一七万五〇〇〇円の割合による金員及び同年四月一日から右建物明渡し済みに至るまで一か月金二三万八四六一円の割合による金員を支払え。

二  第二事件

被告らは原告らに対し、別紙物件目録記載の建物について、次の賃貸借契約が存在することを確認する。

一  賃貸人 被告ら

二  賃借人 原告ら

三  賃 料 1か月につき金一二万五〇〇〇円

四  支払方法 毎月末日限り翌月分払い

五  期 間 平成五年五月三一日まで

六  特 約 譲渡権利付

第二  事案の概要

一  本件は、建物の賃貸借契約において、契約書上の賃借人名義でその名義人の姉夫婦が賃借建物で二十年近く右名義人が賃借しているものとして寿司屋を営んできていることが判明したとして、これが無断譲渡転貸に該当するとして、賃貸人らから賃貸借契約を解除し、その明渡しを求め、併せて、その間に賃料が増額されたとしてその金額の確認及び差額分の支払いを求めたのに対し、被告らにおいて、本件賃貸借は、実質的には賃借名義人の姉が賃借し当時無職の弟に責任をもつてやらせようと考えて弟を名義人として賃借したもので、その二年後には、弟は辞めてしまい、その後は姉夫婦で寿司屋を営んできたもので、当初の契約が弟名義であつたのでそのまま弟の名義で契約を更新してきたが、実質的賃借人は姉又は姉夫婦であり、仮に賃借人が名義人である弟であるとしても姉夫婦への譲渡転貸に該当しないし、譲渡転貸であるとしても賃貸人である原告の一人の承諾があり、明示の承諾がなく無断譲渡転貸であると解されるとしても信頼関係を破壊しない特別の事情があり、更に長期間にわたつて姉夫婦が寿司屋を営んできたもので、現在に至つて明渡しを求めるのは信義に反し権利の濫用であり、既に解除権は時効により消滅しているとして争い(第一事件)、右姉夫婦から賃貸人らに対し、右賃借権の確認を求めた(第二事件)事案である。

二  争いのない事実

1  別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)は、元第一事件原告乙山春子(以下「原告乙山」という。)の夫である乙山竹夫の所有であつたが、昭和四四年六月二日、その管理を委ねられていた原告乙山と第一事件被告丙川太郎(以下「被告丙川」という。)との間で、本件建物について店舗の目的として、要旨次の約定の賃貸借契約書が作成され、本件建物は引き渡された(以下「本件賃貸借契約」という。)。

一  賃貸借期間 昭和四四年六月一日から昭和四七年五月三一日まで

二  賃料 一か月金七万五〇〇〇円

三  特約 賃貸人の承諾なくして賃借人は賃借権の譲渡又は転貸をしてはならない。

2 その後、昭和四四年一〇月二八日、右乙山竹夫が死亡し、同日、原告乙山及び第一事件原告甲野花子(以下「原告甲野」という。)が相続により本件建物の所有権を取得したが、賃貸人の名義は原告乙山のままで、三年毎に本件賃貸借契約は更新され、その間の賃料は次のように推移した。

なお、昭和五九年八月分以降の賃料は、昭和六〇年一二月一六日、裁判上の和解により決まつたもので、同日付で原告乙山及び原告甲野の両名(以下「原告ら」という。)を賃貸人とし、被告丙川を賃借人とする賃貸借契約書が作成された。

昭和四四年六月分-同四七年五月分 月額金七万五〇〇〇円

昭和四七年六月分-同五〇年五月分 月額金八万一五〇〇円

昭和五〇年六月分-同五三年五月分 月額金九万〇〇〇〇円

昭和五三年六月分-同五四年五月分 月額金一〇万〇〇〇〇円

昭和五四年六月分-同五六年五月分 月額金一〇万二〇〇〇円

昭和五六年六月分-同五九年五月分 月額金一一万〇〇〇〇円

昭和五九年六・七月分 月額金一一万五〇〇〇円

昭和五九年八月分-同六三年二月分 月額金一二万五〇〇〇円

3 本件建物の賃料は数年毎に増加してきたとは言え、東京都区部の家賃の消費者物価指数が契約当初から昭和六二年までの一八年間で約二・八倍上昇しているのに対し、本件賃料は約一・六六倍しか増額されていない。

4 原告らは、昭和六二年五月二六日、被告丙川に対し、同年六月分以降の本件建物の賃料を一か月金一七万五〇〇〇円に増額する旨の意思表示をし、そのころ、被告丙川に到達した。原告らは昭和六三年二月分までの賃料増額分(一か月五万円、合計四五万円)の支払いを免除したが、その後も被告丙川名義で従前の賃料額が支払われていた。

5 原告らは、被告丙川が原告らに無断で第一事件被告・第二事件原告丁原松夫(以下「被告丁原」という。)に転貸していることを理由として、平成二年三月一二日付通知書により本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、右通知書は同月一四日被告丙川に到達した。

三  原告らの主張

1  原告らは、被告丙川に本件建物を賃貸しているところ、昭和六二年五月三〇日までに到達した書面で本件建物の月額賃料を金一二万五〇〇〇円から一七万五〇〇〇円に増額する旨の意思表示をしたが、被告丙川は従前の金一二万五〇〇〇円しか支払わない。

2  被告丙川は、昭和四六年ころ、被告丁原に対し、原告らに無断で本件建物を転貸し、又は本件賃借権を譲渡していたことが平成二年二月に判明したので、原告らは、これを理由として平成二年三月一四日到達の書面で本件賃貸借契約を解除した。

3  原告らは、昭和六三年二月分までの賃料増額分については免除し、同年三月分から平成二年二月分までの間に支払われた月額金一二万五〇〇〇円は賃料の一部として受領し、同年三月分として支払われた右金額の賃料は日割り計算により同年三月一四日までは賃料の一部として受領し、その翌日以降は賃料相当損害金として対当額で相殺し、その結果、賃料不足額は昭和六三年三月分から平成二年三月一四日までで金一二二万二五六〇円となり、各支払期限の翌日から平成二年三月一四日までの年一割による遅延損害金一二万九三四九円との合計額は金一三五万一九〇九円となつている。

4  本件建物の賃料相当額は、平成三年一月一八日以降同年三月三一日まで一か月金一七万五〇〇〇円、同年四月一日以降一か月金二三万八四六一円である。

5  よつて原告らは被告らに対し、賃貸借の終了又は所有権に基づき、本件建物の明渡しを、賃貸借の終了又は不法行為に基づき、賃貸借契約終了の日の後である平成三年一月一八日から同年三月三一日までは一か月金一七万五〇〇〇円の割合による、同年四月一日から本件建物明渡し済みまで一か月金二三万八四六一円の割合による賃料相当損害金の支払いを求め、更に被告丙川に対し、本件建物の賃料が昭和六三年三月以降一か月金一七万五〇〇〇円であることの確認並びに昭和六三年三月以降平成二年三月一四日までの賃料不足額金一二二万二五六〇円及び各支払期日の翌日から平成二年三月一四日まで借家法所定の年一割の割合による遅延損害金一二万九三四九円の合計額である金一三五万一九〇九円並びに内金一二二万二五六〇円に対する平成二年三月一五日から支払い済みまで借家法所定の年一割の割合による遅延損害金の支払いを求める。

四  被告らの主張

1  (本件賃貸借の契約当事者)

被告丙川の姉である第二事件原告丁原夏子(以下「夏子」という。)は、当時失職中であつた被告丙川のことを心配し、同人に寿司店をさせるために本件建物を賃借したものであり、実質的な賃借人は夏子であつた。そして被告丙川を賃借名義人として同所で夏子と被告丙川とで「寿司戊田」を開業したが、その後二年程経つて被告丙川が辞めたいというので、夏子は、その後は夫である被告丁原とともに寿司戊田を引続き経営してきたもので、実質的な賃借人は夏子及び被告丁原である。

2  (原告乙山の承諾)

本件建物の賃借人が夏子及び被告丁原でなく、被告丙川からの賃借権の譲渡又は転貸に該当するとしても、原告乙山はこれを知つていたものであり、無断譲渡転貸には該当しない。

3  (信頼関係を破壊しない事情)

本件建物は営業を目的とするが、被告丙川と被告丁原の交代の前後を通じて営業内容に変化はなく、夏子のパートナーが弟から夫に変わつただけで、被告丙川から被告丁原に変わる際何らの対価の授受もされていない。

本件建物における寿司戊田は、実質は被告丙川と夏子の共同経営であつて、契約当初から現在まで夏子が店に出て接客、会計、賃料支払いに当たり、二〇年近い歳月が流れている。

4  (権利の濫用)

右事実関係から考えると、民法六一二条二項の契約解除が認められるとしても権利の濫用であり、許されない。

5  (時効消滅)

原告が主張する無断譲渡転貸は、昭和四六年ころ行われたものであるが、当時原告乙山は毎月賃料の取立てに本件建物を訪れており、また昭和五〇年の増額交渉の際は、原告らが本件建物を訪れ、午後九時ころまで被告丁原及び夏子と交渉したのであり、夏子のパートナーが被告丁原に変わつていたことは十分に知つていたし、通常の注意を払えば知ることができたのであり、したがつて原告らは昭和四六年ないし同五〇年には解除権を行使できたのであるから、民法一六七条一項により解除権の行使ができた右のころから一〇年の経過により右解除権は時効により消滅した。

五  被告らの主張に対する原告の主張

1  (本件賃貸借の契約当事者について)

本件建物の賃借人は昭和四四年以来被告丙川とされてきたし、昭和六〇年一二月一六日付契約書では、無断転貸でないことを担保するため、無断転貸を解除事由としたときも賃借人は被告丙川とされたものであり、原告らは、被告丁原夫婦は被告丙川の従業員と認識していたのであり、夏子は、本件建物での営業許可も取得しておらず、原告らは同人が賃借人であると考えたことはなかつた。

2  (原告乙山の承諾について)

本件建物の賃借人は被告丙川とされ、被告丙川が本件建物から離れた後も、被告丙川名義で賃料増額等の交渉がされてきたのであり、昭和五〇年の交渉の際にもし被告丁原と夏子が賃借しているとの説明があり、原告乙山が承認していたとすれば、被告丁原又は夏子に賃借人の名義が変更されるはずであり、昭和六〇年に無断転貸が問題となつた際も賃借人の名義を変更すれば足りたはずであり、原告乙山は被告丁原又は夏子に対する賃借権の譲渡転貸を承諾しておらず、承諾したと認めるべき事実もない。

3  (信頼関係破壊の事情及び権利濫用について)

被告丙川は、譲渡転貸が禁止されているのに早い時期に被告丁原に転貸し、その事実を秘匿してその後一貫して被告丁原は丙川の従業員である旨を主張してきたもので、昭和六〇年三月にも転貸の疑いを抱いて指摘したのに対し転貸はない旨回答して原告らを欺いたもので、また、本件建物の賃料は、被告丁原の激しい抵抗により、他の賃借人と比較し低く抑えられてきたものである。これに加えて、本件紛争後も被告らは本件建物の外壁を原告らに無断で塗り変えるなどしており、原告らと被告らとの信頼関係は完全に破壊されている。右の事情によれば、被告丁原と夏子が営業を続けてきたからといつて保護されるものではなく、原告らが明渡しを求めても信義に反し権利の濫用となるものではない。

4  (時効消滅について)

被告らは、原告らに対し、右のとおり譲渡転貸の事実を秘匿して原告らを欺いてきたものであり、そのために原告らは、被告丁原を被告丙川の従業員と考えてきたのであるから、右事実を昭和六二年に知るまでは解除権の行使はできなかつたのであり、原告らを欺いてきた被告らが時効を主張することは権利の濫用であり許されない。

六  争点

(第二事件の争点)

1 本件賃借権の帰属

(第一事件の争点)

2 無断譲渡転貸を理由とする賃貸借契約の解除の効力

3 未払賃料額(昭和六三年三月一日以降の適正賃料額)

4 未払賃料相当損害額(平成三年四月一日以降の賃料相当額)

第三  当裁判所の判断

一  本件賃借権の帰属について

被告丁原及び夏子(以下併せて「別件原告ら」という。)は、原告らが主張する賃貸借契約は、実質的には被告丙川ではなく別件原告らとの間に成立している旨を主張し、その賃借権の確認を求めているので、別件原告らに対する被告丙川からの無断譲渡転貸があるかの検討に先だつて、当初から夏子が賃借人であり、これを基礎として別件原告らの共同賃借が成立しているかについて、まず、検討するところ、関係証拠によれば以下の事実が認められる。

1  昭和四四年六月二日、本件建物を借り受けるころ、被告丙川は先に勤めていた甲田製紙を辞め、無職の状態にあつた。夏子はかつて魚河岸に勤めた経験があつたので、弟の被告丙川と寿司屋を開業しようと考え、広告により本件建物を見つけ、借り受けることにし、被告丙川、甥、雇つた板前、夏子の四人で「寿司戊田」を開業した。

2  当初三年間ほどは原告乙山が、その後は原告甲野が賃料を取りに本件建物を訪れていた。昭和四六年ころ、被告丙川は店を出て、被告丁原が店に入つたが、夏子は被告丙川がまた帰つてくるだろうと考えて、右事実を原告らに告げなかつた。原告甲野は、その頃から被告丙川が店から見えなくなり、被告丁原を見かけるようになつたが、特に被告丁原からあいさつはなく、原告甲野は、被告丁原は被告丙川の従業員であると考えていた。

3  第一回更新時の昭和四七年六月は、スムースに更新されたが、第二回目の更新時である昭和五〇年六月の増額については話がつかず、原告らが本件建物を訪れ、その二階において話がされたが、決着がつかず、警察を呼ぶ騒ぎとなり、原告甲野の姉の夫である乙野梅夫が警察からの連絡で間に入り、賃料増額で話がまとまつた。その際原告乙山は増額に応じないなら出て行つてほしい旨の話もしていた。第三回目の更新時である昭和五三年六月の増額についても話がまとまらず、原告らは調停の申立をし、昭和五四年六月二九日、増額の調停が成立した。右調停には被告丙川が毎回出席し、被告丁原は二回、夏子は一回出頭した。第四回目の更新時の昭和五六年六月は、原告乙山が病気であつたため、被告らが上げてきた金額を原告らが受領することで、特にもめることはなかつた。第五回目の更新時である昭和五九年六月には被告らが五〇〇〇円増額して振り込んだが、原告らは納得できず交渉したが話がまとまらず、増額訴訟を提起し、昭和六〇年一二月裁判上の和解が成立し、改めて原告らを賃貸人、被告丙川を賃借人とする賃貸借契約書を作成した。右和解成立時には原、被告とも代理人弁護士のみが出頭した。第六回目の更新時である昭和六二年六月には原告らが事前に四〇パーセントの増額を請求したが、被告らはこれに応じず、更新料の支払いもしなかつたので、原告らは一年ほどして再び要求したが、被告らからは、被告丙川の名前で、修理を約束していたのに履行されておらず、老朽化した建物で五万円の値上げには応じられない、立退き、ビルの建替えの話ならば応じてもよい旨の書面が送付された。そこで原告らは原告ら代理人に交渉の依頼をしたところ、被告ら代理人から寿司戊田の経営は実質的には被告丁原及び夏子が行つている事実が告げられたので、原告らは本件訴訟を提起するに至つた。

4  第五回目の更新時の賃料増額に関して原告ら代理人は賃料増額を請求するとともに被告丁原が賃借人のような言動をしていること、被告丁原が原告らに通知なく住所を変更したことなどから原告らは転貸ではないかとの不安を抱いており、もしそうなら解除事由となる旨を記載した内容証明郵便を送付した。これに対し、被告丙川は牛久保弁護士に交渉を依頼し、右の点について夏子は同弁護士に夏子らが寿司戊田をやつていることを相手方に伝えるよう依頼したが、同弁護士から原告らにその話は伝わらなかつた。

以上の事実に前記争いのない事実を総合すると、被告丙川は夏子の弟であり、賃借当時無職であつたのであるから、原告乙山は被告丙川を借主として相当であると認めて賃貸したというより、夏子の信用が作用していたことは十分に窺われ、夏子において自分も借主であると考えたとしても不自然ではない状況のもとで賃貸借が始まつたものと認めることができる。しかし、その後の推移を見ると、賃料は被告丙川の名前で振り込まれ、賃料増額の交渉では、被告丙川に代わつて被告丁原が関与するようになつて既に八年が経過した昭和五四年に至つても、なお被告丙川自身が名義のみでなく、実際に調停に参加し、訴訟においても被告丙川が当事者として行動し、訴訟上の和解においても被告丁原や夏子は利害関係人としても参加しておらず、また、原告らが賃借人が被告丙川であることについて疑念を抱き確認する書面を出したのに対しても、賃借人が被告丙川であることを否定せず、本件訴訟の直前になつて初めて明確に被告丁原と夏子が本件建物において寿司戊田を経営している旨を表明したものであつて、これらの事実を総合すると、別件原告らが自己を表示するものとして被告丙川の名称を当初から使用していたと見ることはできず、また、原告らが賃料を取り立てるに際して被告丁原及び夏子と出会い、被告丙川が常駐していない事実は認識できていたものと認めることができるが、そのことから直ちに賃借人が当初から夏子であり、そのパートナーが被告丙川から被告丁原に変わつたことを承認したものと認めることはできず、かつ、夏子の牛久保弁護士に対する前記の依頼の趣旨からは、実質的に賃借し、寿司戊田を経営しているのが被告丁原及び夏子であることを原告らが必ずしも承知してはいないことを夏子自身認識していたものと推測され、そうした諸事情を総合的に考えると、本件賃貸借契約の賃借人は被告丙川であると解するほかなく、当初から夏子が賃借人であつたと認定することはできないと言わねばならない。

なお、後記のとおり、賃借権の無断譲渡について、信頼関係を破壊しない特段の事情があるとして、解除権の行使が制限されると解した場合において、その半面として、別件原告らの賃借権を積極的に確認できるかについては以下の論点を検討した上で、改めて判断することにする。

二  無断譲渡転貸を理由とする賃貸借契約の解除の効力

以上の事実によれば、本件賃貸借契約の賃借人は被告丙川であると認められ、また、昭和四六年ころからは被告丙川は寿司戊田の営業からは退いて本件賃貸借関係からは離脱し、無償で被告丁原が引き継ぎ、夏子とともに実質的に賃借人としての意思決定をし、賃料の支払いをしてきたことからすると、被告丙川は夏子又は被告丁原に対し、本件賃借権を無償譲渡したと認めるのが相当である。そうすると、賃借権の無断譲渡は禁止されているのであるから、原告らは、原則としてこれを理由として、被告丙川に対して本件賃貸借契約の解除を求めることができるものと解される。これに対し、被告らは、第一に原告乙山の承諾があつたので無断譲渡ではない、第二に信頼関係を破壊しない特段の事情がある、第三に解除は信義に反し権利の濫用である、第四に解除権は一〇年の時効により消滅したとして、解除の効果を争つているので順次検討する。

1  (原告乙山の承諾について)

本件建物の賃借人が被告丁原及び夏子でなく、被告丙川からの賃借権の譲渡又は転貸に該当するとしても、原告乙山はこれを知つていたのであるから無断譲渡転貸には該当しないというが、前記認定のとおり、原告乙山が当初夏子と被告丙川との共同で寿司戊田の営業を始めたとの認識を有していたことは推測されるものの、賃借人を被告丙川とすることは夏子から提案されたものであり、その後、賃借人を変更する話が原告らに対し出された事実は認められず、かえつて被告丁原が本件建物で営業を始めたときは原告らに何らの話もなかつたことが認められ、そうだとすると、昭和四六年ころから被告丁原及び夏子が賃借権の譲渡を受けたことを原告乙山が承諾していたとまで認めることはできない。

2  (信頼関係を破壊しない特段の事情について)

争いのない事実及び前記認定の事実によれば、本件建物は営業を目的とするが、被告丙川と被告丁原の交代の前後を通じて営業内容に大きな変化があつた事実はなく、実質的な経営については夏子が稼働を継続し、弟である被告丙川から夫である被告丁原に代わる際も身内のことで何らの対価の授受もされておらず、賃料増額の交渉も被告丁原らが実施してきており、多少増額幅に争いがあり、賃料増額がスムースに決まらなかつたことがあるとしても、特に問題を生じることなく約二〇年の歳月が推移しており、その間、賃料の支払いは月末までのところを数日遅れることはあつても滞りなく支払われてきたことが認められる。

ところで、原告らは、被告丙川は譲渡転貸が禁止されているのに早い時期に被告丁原に転貸し、その事実を秘匿してその後一貫して被告丁原は丙川の従業員である旨を主張してきたもので、昭和六〇年三月にも転貸の疑いを抱いて指摘したのに対し転貸はない旨回答して原告らを欺いたもので、また、本件建物の賃料は、被告丁原の激しい抵抗により、他の賃借人と比較し低く抑えられてきたと主張し、被告らは無断転貸の事実を認識しながらこれを隠して原告らを欺いてきた点を指摘しているので、更に検討すると、前記認定のとおり、被告らが原告らを故意に欺いてきたと推測させる事実としては、第一に賃料の支払い、賃料増額の交渉、合意(調停、訴訟上の和解を含む)はすべて被告丙川の名称で行われてきていること、第二に賃料増額調停には被告丙川自身が出頭し交渉をしていること、第三に昭和六〇年三月に原告ら代理人が賃借人は被告丙川であり被告丁原は従業員であると考えていることを伝え、無断転貸がないかを確認した際に事実を述べなかつたことを挙げることができる。しかし、第一の点は被告丙川の名義で借り受けていたために、その後の交渉も深く考えることなく被告丙川の名義で行うようになつたものとの理解が可能であり、特に被告丙川に対しては賃貸してくれるが、夏子や被告丁原には貸してくれないと考え、そのために原告らを欺こうと敢えて虚偽の事実を表明していたとまでは認定できないこと、第二の点は、調停及び訴訟においては被告丙川が相手方又は被告とされているためにそのまま被告丙川が応じる形で進んでいつたものであると解され、被告丙川から積極的に自らを賃借人であるとして調停を求め、訴訟を提起したような事実は認められず、このことをもつて背信的とは必ずしも言えないこと、第三の点は、夏子自身は前記のとおり牛久保弁護士に事実を話すように述べたと供述しており、その後現在の被告ら代理人である松石弁護士には事実を述べ、同弁護士を通じてそのまま原告ら代理人に伝えられており、特に秘匿していたとすれば、積極的に夏子の方から右事実を伝えたりしなかつたであろうと考えられることからすると、これらの事実から被告らに背信的な意図があつて原告らを欺いてきたとまでは認めることができない。

なお、本件紛争後、被告らが本件建物の外壁を原告らに無断で塗り変えるなどしており、被告丙川の名義のままで営業を継続した点も含め、被告丁原及び夏子には賃貸人との協調性に欠ける点が認められるのであるが、もともと本件賃貸借は被告丙川との人的な信頼関係から出発したものではなく、本件建物は寿司戊田として継続して寿司屋として長期にわたり営業され、賃料も滞納することなく、支払われてきており、増額された賃料についても決められればこれを支払つてきているのであり、原告らは被告丁原のために賃料が低く抑えられてきているというのであるが、調停では調停委員が関与して決定されており、訴訟では双方に代理人弁護士がつき裁判官が関与の上決定されており、確かに近隣の賃借人丙山秋子と比較すると、低めに推移していることが認められるのであるが、前記のとおり、被告らから増額した賃料を支払い、原告らが異議をとどめず受領して更新をしたこともあるのであり、本件建物の賃料の推移において被告丁原の抵抗のために低く抑えられてきたとの事実を認めることはできない。

以上の諸事情を総合考慮すると、確かに、被告らは早期に被告丁原を賃借人として契約を締結しておけば原告らの疑念を招かずに済んだものであり、本件紛争の責任は被告らにあると言えるのであるが、さりとて、原告らに虚偽の事実を告げてこれを欺いてきたとは認められず、被告丙川の名義で始め成行き上これが継続されてきたと考えられるのであり、本件建物の利用状態に変化はなく経過し、賃料は滞りなく支払われ、明渡しが認められない場合の原告らの不利益は、さほど大きいものではなく、他方、明渡しが認められた場合、被告丁原ら家族は生活及び収入の拠点が奪われることになるのであり、右の事実関係のもとでは、被告丁原に対する本件賃借権の無償譲渡には、信頼関係を破壊しない特段の事情があると解するのが相当である。

三  昭和六三年三月一日以降の適正賃料額について

1  原告らが、昭和六二年五月二六日、被告丙川に対し、同年六月分以降の本件建物の賃料を一か月金一七万五〇〇〇円に増額する旨の意思表示をし、そのころ、右意思表示は被告丙川に到達したこと及び昭和六三年二月分までの賃料増額分の支払いを免除したことは前記認定のとおりであり、右増額請求の効果が発生したと解される昭和六二年六月一日以降昭和六三年三月まで賃料の増減請求はされていないことから、昭和六三年三月以降の賃料額は、昭和六二年六月一日時点の適正賃料額であると解されるところ、本鑑定の結果によれば、右時点における適正賃料額は月額金一四万四六〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

2  ところで、原告らは、昭和六三年三月分から平成二年二月分までの間に支払われた月額金一二万五〇〇〇円は賃料の一部として受領し、同年三月分として支払われた右金額の賃料は日割り計算により同年三月一四日までは賃料の一部として受領し、その翌日以降は賃料相当損害金として対当額で相殺するとしているが、解除の効果が制限されるとすると、賃料相当損害金は発生しないから、その結果、賃料不足額についてのみ請求が認められるところ、昭和六三年三月分から毎月金一四万四六〇〇円から既に受領されている月額金一二万五〇〇〇円を控除した残額である金一万九六〇〇円が各月の賃料不足額となると解される。そうすると、原告らは被告丙川に対し、昭和六三年三月一日から平成二年三月一四日まで一か月金一万九六〇〇円の割合による金額及びこれに対する各支払期限の翌日である各月一日から支払い済みまで年一割の割合による遅延損害金の支払いを求めることができ、更に同月一五日以降の賃料不足額の請求もできることになるが、原告らは同月一四日までの賃料不足額のみを求めているので、その限度において請求が認められるにとどまる。

なお、原告は被告らに対し、平成三年一月一八日以降明渡し済みまでの賃料相当損害金の支払いを求めているところ、前記のとおり、解除の効果が認められないとすると、賃料不足額及びこれに対する年一割の割合による遅延損害金支払い義務が生じることはあるとしても、賃料相当損害金の支払い義務は生じないから、原告らは被告らに対しこれを求めることはできないことに帰する。

四  解除権の制限と賃借権の確認について

ところで、以上のように無断譲渡又は転貸に該当するとして原則として解除権が発生するが、信頼関係を破壊しないとしてその行使が制限される場合、当該無断譲受人又は転借人は、自ら積極的に自己に賃借権又は転借権が帰属することの確認を求めることができるかについて考えると、前記認定のとおり、本件においては、別件原告らは、被告丙川が賃借人であるとして行動してきており、原告らも長期に渡つてそのように取り扱つてきているのであり、ただ、前記の理由により、被告丙川との賃貸借契約を解除して別件原告らに明渡しを求めることが現時点では信義則上できないというにとどまるのである。したがつて、そのことのみを理由として、積極的に別件原告らに賃借権が帰属するとの結論を当然に導くことはできないと言わねばならない。もつともそのように解すると、賃貸借契約は原告らと被告丙川との間に存続し、他方、本件建物を占有し、賃借人として行動するのが別件原告らであるという実体と異なる法律関係の存続を結果的に認めることになり、法的安定性が害されることになるが、以上の経過からすれば、別件原告らはその不利益を甘受すべきであるし、原告らの意思により、法的安定性のために、別件原告ら又はそのいずれか一方を賃借人と認めて占有権限を付与して賃料を請求することはできるとしても、原告らにおいて積極的に別件原告らの賃借権の帰属を確認することまでは求め得ないと解するのが相当である。

第四  結論

以上によれば、原告らの被告らに対する請求は、被告丙川に対し本件建物の賃料が昭和六三年三月一日から平成二年三月一四日まで一か月金一四万四六〇〇円であることの確認並びに昭和六三年三月一日から平成二年三月一四日まで一か月金一万九六〇〇円の割合による賃料不足金及びこれに対する各支払期限の翌日である各月一日から支払い済みまで年一割の割合による借家法上の遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の被告丙川に対する請求及び被告丁原に対する請求は理由がないからこれを棄却し、また、別件原告らの原告らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用については第一、第二事件を通じて、これを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告ら及び夏子の負担とし、なお、仮執行宣言については、賃料の確認と密接な関連を有するからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 大塚正之)

《当事者》

第一事件原告・第二事件被告 甲野花子

第一事件原告・第二事件被告 乙山春子

右両名訴訟代理人弁護士 田辺雅延 同 市野沢要治

第一事件被告 丙川太郎

第一事件被告・第二事件原告 丁原松夫

第二事件原告 丁原夏子

右三名訴訟代理人弁護士 松石献治

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